”世界+実存+存在” (A4サイズ)
本シリーズは、NO-1 ~ NO-5 の続編を含め5冊からなるシリーズ。サンプルは抜粋したもの。全文を読むにはパスワードが必要。
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世界、実存、存在を思索した随想・論考集。
言及する分野は、実存哲学、存在、宇宙論、量子重力論、現代物理、情報理論、システム論、生命論、人工知能、認識、・・・。 ヤスパース、ハイデッガー、ショーペンハウアー、エリッヒ・ヤンツ、ニーチェ、シャルダン、ウイットゲンシュタイン、
ゲーデル、・・等々の思想家、哲学者に言及する。
次元、時間、空間、物質、存在物と存在、存在と情報相関、それらに関する論考などを収録。 著者:冨田行博
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はじめに。
本書は、存在とは何かから始まり、存在物とは何か、空間とは何か、時間とはなにか、次元とはなにか、物質とは何か、生命とは何か、
そして自己自身とは何か、これらの疑問に関して思索してきたことを集約したものである。
「存在と存在物」および「存在物としての宇宙」を研究したものであり、同時に実存的思索の記録である。
本書は、「存在」、「存在物」、「空間」、「時間」、「次元」、「エネルギー」、「物質」、「情報」およびそれらの相互関係を、
現代物理の成果や歴代の先哲による哲学的思想によって、その本質的意味を見出すべく思索した軌跡でもある。
世界は、宇宙は、”もの”というより情報そのもの、包括的概念としての情報の情報相関そのものである。”もの”はエネルギーのソリトンで
あり、エネルギーは概念化が不可能な包括的概念としての”情報”に似たある抽象的な関連性そのものである。量子情報のエンタングルメント・エントロピ-から空間が創発してくるというのが最先端の知見である。さらに重力はエントロピックなものであるという理論も提唱されている。いずれもまだ仮説ではあるがある全体的な存在の背景が垣間見える。
「存在」 と「存在物」への問いは全く次元を異にする概念である。世界定位は常に後退し、一般化され汎化され、そういう過程のなかで一つ
の近似となっていくものである。世界定位は際限のないものである。
科学が全体知でないと同様に哲学もまた決して全体知ではありえない。真正の哲学とは、実存の歴史性において存在を覚知することによっ
て、生ける人間存在の自由の空間を開くものである。しかし真正の哲学は科学を通してのみ到達されねばならない。
存在全体は完結した全体として対象的には捉えられない。無限に開かれた全体という意味をもっている。
実存的に哲学することは、特殊なものや、部分的なものなどの有限的なものを超えて、存在そのものを探求することである。それはその都度の限界状況における挫折と、超越による存在認識の変革を通じて「存在そのもの」の根源への浸入を試みることである。人間は絶えず、そして本質的に逃げ道なく生成、消滅のダイナミクスのなかで常に死に対しているのである。存在と存在化された宇宙とは生起する不気味さそのものであると同時に、人間が本質的に帰るところでもある。
・本シリーズのタイトルでもある「世界定位」、「実存」、「存在」は、元来各々が独立したテーマではなく互いに相関関係にある。
本シリーズは、NO-1 から NO-5までのシリーズで構成されている。NO-2, NO-3, NO-4, NO-5 は、NO-1 の続編である。
例えば、NO-1では、 第1部は、「世界定位」(世界解釈)、第2部は、「実存」に関して、第3部は、「存在」という超越性。
第4部は、「随想」の4部からなる。
2015/4/3 冨田 行博